「愛がなんだ」見てきた。映画館の暗闇の中書いたメモが8ページになってた
こんにちは、ひにしです。
私、「ジョゼと虎と魚たち」が邦画史上最も好きという時点でまあまあこじらせている自覚がありまして、「愛がなんだ」はもう怖すぎて見れなかったんですが、唯さんの連ツイ見たら、やばそうな恐怖がMAXに到達して、チケット予約をしました… https://t.co/OIzt076oCr
— ひにしあい@あと-6.5kg (@sunwest1) 2019年5月18日
こんな感じで恐怖が臨界点に達したので、一人で「愛がなんだ」鑑賞してきました。
映画を見ながらひたすら思ったことをメモに書き付けていたんですが、
感想をまとめると
10代後半〜20代の恋愛経験の”かけら”をそれぞれの登場人物がフューチャーして描かれている。だから、どの場面でも、共感と反発と締め付けられる気持ちがないまぜになって逃げ出したくなる。
てるちゃん、マモちゃん、ようこちゃん、仲原、すみれさん、それぞれみんなこの人に似ているかな?共感度が高いかな?ってキャラはいるんだと思うんだけど、それだけじゃない。
立場が変わることで、どのキャラ的な経験もみんなしているし、自分自身も思い当たる節がある。
マモちゃん役の成田凌のクズっぷりとかが話題と思うんだけど、それはマモちゃんがそういう男なのではなく、主人公のてるちゃん自身がそういう男にしているという側面もあるときちんと描かれていることが、いろんな意味でこの映画に触れる、様々な角度から客観視をする価値があるのかも。
“くる”人にはすごい”くる”、締め付けられと甘い痛み
朝方まで彼氏じゃないけど好きな男と飲んでからの一緒にタクシー乗ってSEXして、お昼までダラダラしてのそのままだらだらお散歩。二人の時間が続くことが決まってないから、確約されてないからこその、伸び続ける一緒にいる時間への嬉しくなる求める側と意識ない方の温度差。
この描写が割と冒頭にくるのが、なんというかいろんな意味で郷愁をさそいにくる。多分これは似た経験があればそのまんま、無くても共感ポイントが随所にあるから。
なんだけど、この一連の甘いような苦いような痛いような描写の空気がものすごくペタっと、いやベタっとした、まとわりつくような重さがあって、主人公のてるちゃんの佇まいを表している感覚を覚えた。
ちょっと居着いた好きな男の家で靴下めっちゃ畳んじゃったり、お風呂の排水溝の掃除ムッチャしちゃったり、こう言われたらなんでもしたいし、言って欲しい。いうことを聞きたいって感覚もすごくわかるのと同時に
自分が大して好きでもない、都合の良い人に同じように振舞われたら、多分一生好きになることはなくて、むしろ自分のために尽くしてくれれば尽くしてくれるほど興味を失うよな。って映画というフィルターを通すことでより客観視できた部分はあるなあと思った。
これは結果、テルちゃんがマモちゃんにしていることと、マモちゃんがすみれさんにしていることが同じってなわけで。
優勝は”仲原”
私が暗闇で書いたメモを読み返して一番笑ったのがここ
いまメモ見返してて、ちゃんとまとめようとは思ってるんですが、勢いで笑ったのここ。
— ひにしあい@あと-6.5kg (@sunwest1) 2019年5月19日
優勝w pic.twitter.com/nAXWFaABjj
仲原は葉子ちゃんが好きで、自分ではもうどうひっくり帰っても抗えないレベルに好きで、だから呼び出されたらすぐ行きたいし、何されても平気って状況、最初てるちゃんと似ているんだよね。
でも、自分がその状況になっていることによって、葉子ちゃん自身が仲原への態度が残酷かどうかの区別がつかない状態になっていること、そのことにもちゃんと気づいていて。
「諦めることくらい自由にしてほしい」っていうセリフは一番刺さったかもしれない。
もう、好きなのは変えられないから、自分から諦めることくらい、自分の意思で自分の未来のために決めさせてくれよ。っていう。
もう、すごくここはてるちゃんの「マモちゃん好き」とは何もかもが違うんだよ。っていうのが全く、てるちゃんに伝わっていないのも含めて、印象的なシーンだった。
帰り道の女たち
と、印象に残ったセリフや場面はたくさんあるのですが、すごくああ、なるほど。って思ったのが、映画が終わった後、聞こえてきた周りのお客さんの会話。
20代前半の女子たち
「泣いたー」「わかるー」
30代と思しき女子たち
「ある意味でリアルじゃない」「これは自我との闘い」
うん、なんかそういうことなんだと思う。
ああ、私も「愛がなんだ」を語る女子会を今すぐやりたい。